料理人の必須条件2 精神の統括力

5 - 料理人と仕事 / 第一章 若き料理人へ

料理人と仕事 / 第一章 若き料理人へ / 料理人の必須条件2 精神の統括力

食べることの最低限は、身体さえ、こわさなければいい。味がわるかろうが、見ためがどうであろうが、ようするに、食べられればいいわけでしょう。しかし、食べるものを商品化して、不特定多数の人に売る段階になると、安全はもちろんのこと、商品の一定のレベルと、その継続とがもとめられる。

機械ならば簡単です。天候にも気分にも左右されずに、おなじものを何年でもつくり続ける。しかし、機械でない人間が、一定レベルをつくるには、調理方法や技術のみならず、つくる人の、個人の諸条件が、一定にととのった状態でなければ、これはむずかしいでしょう。

身体的な不調、気分の高低、それから生まれる五感のみだれは、自覚をともなわずに、その一定レベルを変動させるし、また、安全その他への、注意力を鈍化させるものです。だから、若いときのからだが、健康であるだけでは充分でない。健康なからだを土台として、それを維持できること、すなわち、自分で、自分のからだの調整がつけられることが、必要となる。

これをおこなうのは、からだでなく、頭と心をあわせた精神です。仕事場を離れた自分の生活を、からだをととのえ、心をととのえられる状態に、スタンバイしておくこと、それができる精神のもちぬしと、その生活背景とに、信頼できる、心身の健全を見いだしえる。

あんまり言いたくないけどね、むかしは、かなりいい加減な生活をしていても、料理人という職業は成り立ったの。若い人が知らなくていい言葉のひとつに「コック四十五で野たれ死に」というのがある。いつの時代でも、調理場には、食べものと酒があるでしょう、多くの人が、食うにこまる時代、食うために働く時代、料理人は食って、食えた。食べものもあり、給料もある。

この状況に負けてしまうと、飲む打つ買うも、中毒も簡単です。だから、さっきの言葉は、そういう料理人は「四十五ぐらいで、心身がボロボロになって、使いものにならなくなる。放り出されても、わるい癖は直らないから、転々として、それでおしまい」という意味です。

現代では通用しないが、そういう言葉があったということじたい、いかに料理人が、心身の健全の放棄におちいりやすい環境にあるか、また、料理人という職業と、心身の健全との、重大な関係をあらわしていると思う。だから、料理人になるというのも、安直なものではないですよ。

心のととのい、いわば「精神を統括する力」がなければ、からだのコンディションを統括できない。意識で考えるより、五感という、無意識の反応は敏感です。五感をつかさどる身体がととのわないかぎり、五感によって判定する〝昧〟もまたでき上がらず、つねに変動する。変動のある味は、商品にならない。

いつまでたっても商品がつくれなければ、職業人としての能力を問われる。すなわち「からだが資本だ」というだけでは、料理人として充分でない。

「ととのった頭と精神を有した、健康なからだ」、これを資本として、この資本を保持拡大できるような、そういう生活背景を、自分でつくってゆく。これが、五感を媒介とする料理人の、真の意味の健康です。

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